襖は張替えで再生できる便利な建具です
襖は日本独特の建具です。部屋の出入り口としての役割だけでなく、複数枚を並べて使うことで壁としての役割も果たすことができるという他に例を見ない特徴を持っています。洋風建築の建具の場合、部屋のドアはドアとしての役割しか果たしません。それはクローゼットの扉の場合も同様です。でも、襖の場合は、ドア的な役割を果たす他に、間仕切りや押入れの扉としての役割も果たすことができます。幅広い用途に使うことができるという便利な特徴があるだけでなく、張替えによって簡単に再生することができるという経済的なメリットも有しています。
洋風建築で使用されているドアに穴が開いてしまった場合、ドア自体を交換するしか修理する方法がありません。でも、襖の場合は、よほど状態が悪くなっていない限り、内部の組子を修繕して襖紙を張替えるようにすれば、新品同様の状態に再生することができます。最近のマンションや建売住宅でよく用いられている量産型の襖の場合は張替えできる回数に限界がありますが、昔ながらの製法で作られている和襖の場合は、組子が完全に使えない状態になっていないうちは、何度でも張替えすることが可能です。張替えによって同じ物を長く使い続けられるようになりますので、とても経済的な建具だと言うことができます。
岐阜県瑞穂市について
岐阜県瑞穂市は、岐阜県の南西部にある都市です。総面積は28,18平方キロメートルあり、平成27年11月末時点での総人口は53,565人となっています。市章は瑞穂市の「M」と稲穂を図案化したもので、グリーンが徐々に深い色へと変化していく2本の稲穂が穂積町と巣南町の合併を表しており、未来へと活躍・発展していく様を表現しています。市の花は「アジサイ」で、市の木には「サクラ」が制定されています。いずれも市内各所で見ることができ、個性豊かで柔らかな姿が瑞穂市民にふさわしいとして選ばれています。瑞穂市は東西に川が流れており、水郷地帯としても知られています。江戸時代には宿場としても栄えていた場所であり、現在でもJR東海道新幹線など交通機関の利用しやすい立地として利便性の良い地域となっています。瑞穂市は水郷の町として知られているように、自然豊かな風土が特徴です。水田を利用した農業が盛んに行われており、中でも米は特産品として栽培され全国各地へ届けられています。また近年では米の生産調整によって、柿・梨・イチゴなどの施設農業も積極的に行われるようになってきました。全国でも最優秀品種として有名な「富有柿」は瑞穂市が発祥で、関東地方や関西方面などにも出荷されています。
岐阜県瑞穂市について
岐阜県瑞穂市は岐阜県南西部に位置する、総面積約28平方キロメートル、総人口約5万4千人の市です。岐阜県の県庁所在地である岐阜市と、県内第二位の人口を擁する大垣市の間に挟まれています。平成の大合併当時、旧穂積町と巣南町が合併して瑞穂市となりました。瑞穂市の市名である瑞穂とは稲穂の美称であり、日本国の美称としても用いられる事から瑞祥地名として好まれており、自治体名として日本各地に存在します。また瑞穂市では、倭姫命が天照大神を祀る地を求め伊勢に至る道中で、現在の瑞穂市居倉に滞在されたとある事も踏まえたとしています。倭姫命が滞在された場所は、現在天神神社がある地とされます。境内にある御船代石は、天照大神の神輿を安置した跡と伝わります。主に稲作を中心とした農業が盛んな瑞穂市ですが、昨今では果物や花きの栽培が盛んとなっています。果物ではイチゴや梨、柿などが栽培されており、このうち甘柿として日本で最も多く生産される富有柿は瑞穂市を原産とします。瑞穂市居倉の天神神社側に、富有柿の原木があり、記念碑が置かれています。花きでは主にバラの栽培が盛んであり、他には洋ラン類などが生産されています。花き産地としては岐阜県下屈指の生産量となっています。
岐阜県瑞穂市の観光情報
岐阜県瑞穂市は岐阜県の南西に位置する自治体で、岐阜市と大垣市に挟まれて存在する市です。瑞穂市の産業は主に稲作を中心とする農業ですが、昨今は米の生産調整を受けて果物や花きの栽培が盛んとなっています。果物としてはイチゴの栽培が盛んな他、富有柿の原産地としても知られています。富有柿は甘柿の品種の一つで、甘柿の中で生産数が最も多くなっています。瑞穂市居倉地区にある天神社は、倭姫命の伝承と関わりを持つとされます。倭姫命は宮中に安置されていた天照大神を祀る地を求めて諸国を巡ったとされ、その途中で、現在の瑞穂市地域に滞在されたといいます。その際に伊久良河宮という宮殿を建てたと伝承にあり、それが現在の、瑞穂市居倉の天神神社の始まりとされます。瑞穂市の東西を横断するように中山道が通り、江戸時代には瑞穂市域にも宿場町が置かれて賑わいを見せていました。瑞穂市呂久地区にある小簾紅園は、大河ドラマなどでおなじみの皇女和宮縁の公園です。和宮は公武合体政策によって将軍徳川家茂に嫁ぎましたが、江戸に向かう最中にこの地の呂久の渡しを利用して揖斐川を渡りました。その際に和歌をお詠みになった事から、それを記念して開園された公園です。日本庭園が整備されており、紅葉の名所となっています。和宮の例祭として、毎年春と秋にお祭りが催されます。